本校所蔵のアルバムより2
1938(昭和13)年~1940(昭和15)年

戦時色が強まる中での夏季集団勤労奉仕等の写真

 1931(昭和6)年の満州事変、1932(昭和7)年の上海事変と戦時色が強まっていく。すでに男子が通う中学校では、1925(大正14)年から現役将校が配属されて軍事教練が実施されていた。
 1937(昭和12)年に始まった日中戦争は4年後の1941(昭和16)年には太平洋戦争へと拡大する。このころには戦争の影響が本校にも直接及ぶことになる。

1938(昭和13)年「夏季集団勤労」とタイトルのついた写真
写真: 校舎の壁塗り 写真: 1938(昭和13)年のページより
写真: 集団勤労 白衣作り  1938(昭和13)年の夏休み中、学年ごとに集団勤労作業が実施された。左記写真は戦傷者のために白衣を縫製する4・5年生。
 他にも、上記に見られるような校舎壁塗り作業、陸軍臨時病院の造園作業などに従事した。
 又、前年1937(昭和12)年には全校生徒各自の防毒マスクを作製している。


1939(昭和14)年「夏季集団勤労」とタイトルの付いたページより
写真:1939(昭和14)「夏季集団勤労」ページより
本校テニスコートも農園に
写真:農園開墾作業
農園開墾作業

写真:防空訓練水運ビ
「防空訓練水運ビ」のタイトル付きの写真
 戦争の長期化は学校の授業内容にも影響をもたらしていく。この年1939(昭和14)年、薙刀が正課となり、夏休みは「夏季心身鍛練期間」とされ、農家での農産拡充集団勤労作業が開始される。

 右写真は1939(昭和14)年 横浜公園(現在の横浜スタジアム)で県下の中等学校体操大会が開かれ、本校5年生が「ファウスト」を踊っている様子。
 本校伝統の体育ダンス「ファウスト」が初めて踊られたのは1927(昭和2)年。後に最上級生の演目として「体育大会」「運動会」「体育祭」へと受け継がれていく。
写真:1939(昭和14)年中等学校体操大会


1940(昭和15)年「夏季集団勤労」とタイトルの付いたページより
写真:1940(昭和15)年「夏季集団勤労」 写真:1940(昭和15)年「夏季集団勤労」

 当初、夏休みなどに校内で実施された集団勤労作業は、やがて授業時間を割いて農家の手伝いに出かけるようになり、さらにこの後、工場や軍事施設に駆り出される勤労動員へと拡充されていく。

参考年表

年 号 本校の歩み その頃の日本 その頃の世界
1937(昭和12)年 石川清教諭(理科)・荒波寛一教諭(英語)が出征(荒波教諭は翌年戦死) 第一次近衛文麿内閣
(1937~39)
日独伊三国防共協定
日中戦争本格化
1938(昭和13)年 校旗が制定される
夏季集団勤労作業始まる
国家総動員法公布 独、オーストリア併合
ミュンヘン会談
1939(昭和14)年 薙刀が正課となる
夏休みが、「夏季心身鍛練期間」となる
国民徴用令公布 独軍ポーランド侵攻
第二次世界大戦勃発
1940(昭和15)年 創立40周年 大日本産業報国会結成 日独伊三国軍事同盟
1941(昭和16)年 修学旅行を関西聖地参拝旅行として実施
(翌年から中止)
生活必需物資統制令公布 日本軍真珠湾攻撃
太平洋戦争勃発


※解説文は本校の特色のひとつでもある校史教育の資料「県立高女から横浜平沼へ」~100年の歩み~から抜粋して掲載いたしました。
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